終わりは想像するよりずっと呆気なかった。あれだけ夢見てきた世界征服も、チェズレイだけでは成し得なかった目標も、モクマや仲間達がいるだけでこんなにも容易く達成出来るのかと少し拍子抜けしてしまう。いや、決して容易などではなかったかと夕陽の中で無惨にも崩れ落ちる対抗組織の拠点を仰ぎ見ながらチェズレイは思う。夢を志してからの十数年、築き上げてきた自分の組織を壊滅されるやら、命を狙われて心に致命傷を負うやら。何一つ順風満帆なことなど無かったなと息をついた。

「とりあえずはお疲れさん」
「モクマさんも。多大なお力添えいただきまして」
「計画を立てたのも実行したのもお前さんだけど、お礼は素直に受け取っておこうかな。ありがとね」
「いえ、こちらこそ」

 二人で肩を並べあって夕焼けに染まる光景を眺めていると、モクマと同道の約束を結んだあの日のことを思い出す。これからどうするつもりだい? モクマが問いかけた言葉を、今度はチェズレイが返すべきなのかもしれない。けれど喉奥が詰まってうまく声に出せない。沈黙のままに終焉の余韻に浸っているなか、やはり動き出したのはモクマの方だった。

「チェズレイ。あの地図を出してくれる」
「ええ。承知しました」

 携えていた地図を取り出して、向かい合ってモクマの目の前で開いてみせる。今や世界中が紅葉と花のマークでいっぱいになっていて彩鮮やかだ。今回はおじさんの番だよねと、口にしながらモクマがぺたりと紅葉の印を押す。

「そろそろ私がどんな良いものをいただけるのか、教えてはくださらないでしょうか」
「それはまだちょっと。最後の国が埋まるまでのお楽しみだ」
「最後の国と申しますと、もしかしてあの地ですか?」
「そう、ミカグラ島」

 大きな海上に浮かぶ三日月型の島国は、モクマと同道の誓いを交わしたいわば始まりの地だ。そしてチェズレイとモクマの出会いは、ミカグラ行きの空飛ぶ船の中で。あの時は各々に偽りの姿の中での邂逅だったと、チェズレイは過去を少しだけ懐かしむ。

 スタート地点はまだどちらの色にも染まっていない状態だ。

「幸運にも、これから私達が赴こうと予定していた場所でもあります」
「ルークから招待状が届いているんだって?」
「よくご存知で」
「ルーク本人から聞いたからね。久しぶりにみんなで集まりませんかって」
「おや。私には招待状で、モクマさんには口頭だけのご案内ですか」
「その理由はお前さんが一番分かっているだろうに」

 ルークがチェズレイ宛にナデシコ経由で送ってくれた招待状。集合場所はミカグラ島で、指定された日付は今日から三日後の十一月二十日。奇しくもチェズレイの誕生日にあたる。きっとその日にチェズレイの誕生を祝う何かが催されるのだろう。美しいリボンでデコレーションされた招待状からも、ルークの好意が読み取れた。

「楽しみだねえ」
「……モクマさんがそうお思いになるのなら、そうなのでしょうね」

 体も冷えてまいりましたし、アジトに戻りましょうと口にしながらチェズレイはモクマに背を向けた。何となくモクマの屈託のない笑顔を見ていられなかったからだ。

「世界征服おめでとうって、今から祝賀会でもしちゃう?」
「魅力的なお誘いではありますが、流石に連日連夜体を酷使したものですから。しばらくは休息をとりましょう。私も、あなたも。それにまだ実感もありませんし」
「大願を成就した時って、意外とそんなもんかもしれないね」

 呑気に笑うモクマに、チェズレイは曖昧に頷いた。そうだ、これからモクマと離れる実感なんてチェズレイには全くない。足元だってふわふわしていて、この日常が既に壊れかけているなんておよそ現実味がない。それでもいずれ至る事実をチェズレイは受け止めなくてはならないのだろう。覚悟はもう決まっていた。

 ミカグラ島が、きっとモクマとの旅路の終わりだ。



 チェズレイがモクマと二人で飛行船にてミカグラ島に到着すると、待ち構えていたように先入りしていたルークが空港まで出迎えてくれた。

「モクマさん、チェズレイ。お久しぶりです」
「ほーんと、久しぶりだねえルーク。とは言ってもちょいちょい連絡は取ってたから、こうやって直に顔を合わせるのはっていう意味にはなるけどね」
「あァ……ボス! 少しお痩せになりましたか? ミカグラ島に向かう余暇の為に、仕事を詰めたせいで食事がおろそかになりました?」
「見ていないし教えてもいないはずなのになんでそんなことまで分かるんだ君は。うん、まあ、それは今はいいとして」

 久々の仲間との再会をひとしきり喜んだ後に、ルークはくるりと踵を返した。

「ナデシコさんが外で車を待機してくださっていますので、二人とも早く行きましょう」
「それはそれは。私達は一体どこに連れ去られてしまうのでしょう」
「理由があって今は言えないけど、すぐに分かるよ。大丈夫だ。君にとって絶対に悪い話じゃない」

 物言いが完全に詐欺師が使う常套句なのだが、ルークの本質を知っている人間なら、彼の台詞が本当に言葉通りなのは疑いようもないだろう。

「モクマ、チェズレイ。久しぶりだな」
「ナデシコちゃんも元気そうで。相変わらずの美人さんだね~」

 ナデシコが運転する車の助手席にルーク、後部座席にモクマとチェズレイが乗り込む。緩やかなスピードで車が動き出した。運転席をナデシコが陣取る車に乗ったのは過去に数度しかないが、珍しく穏やかな運転だった。窓から見えるミカグラ島の光景も、いつもよりゆっくり時間が過ぎていくような感覚だ。透き通る青い空にちぎれたような白い雲がいくつも浮かんでいる。

 数年前のあの日から全く変わっていないようで、それでも全てが変わってしまったようにチェズレイには思える。分かっている。ミカグラ島にて、チェズレイ自身も劇的に変わった。避けられない変化は、望まなくてもやってくる日が必ず来る。もの悲しさが唐突に胸を突いて、その痛みに思わず目を閉じた。

「……チェズレイ、少し疲れた? 到着したら起こすから、しばらく眠っててもいいよ」

 まるでこれからどこに向かうのかを知っているようなモクマの口ぶりに、あなたも共謀者であることがあからさまなんですよと思いながらチェズレイは、それでも労いの言葉を受け取って少しの間意識を手放すことにした。


 チェズレイが再び瞼を持ち上げようとすると、視界が異様に暗かった。目の周りに押し当てられたクッション布のような感触と、僅かな隙間から光を感じる。どうやら目隠しのようなものを施されているとチェズレイが知ると同時に、「チェズレイ、起きた?」とモクマの声がすぐ隣から響いた。

「これはこれは、目覚めの挨拶にしては随分なご待遇ですねェ」
「ちょっとだけ我慢してね〜。すぐに外してあげるから。そのまま車から降りれる? ほら、おじさんの手を掴んでてもいいから」
「ニンジャさんのエスコート付きでしたら、この愚行について私は目を瞑って差し上げるべきなんでしょうかねェ」
「はは。チェズレイが本当に目を瞑ってるかは分からんけどね」

 チェズレイとモクマのやりとりを笑いながら見守るルークとナデシコの気配を感じる。身じろぎして座席から移動して、開け放たれたドアからモクマの手だけを頼りに外に出る。湿っぽい空気がチェズレイの髪を通り抜けていき、潮の香りが鼻についた。砂を擦り合わせたような一定の大きなリズムはきっと波の音だろう。

 場所的には一切何も隠せてはいないのだけれど、今日がチェズレイの誕生日であるという公然の事実を前にしてみれば、ここで何らかのサプライズが用意されていることは間違いないようだ。

 まァ、モクマとのことで決心がついたチェズレイが今更驚くべきことなんてないのだけれど。驚愕するふりをする程度の愛嬌と親愛を彼らに対して持ち合わせているので、多分チェズレイにとっては素敵なバースデーパーティになることは間違いない。砂の上は歩きにくくて、尚且つほぼほぼ視界が隠れているので足元が覚束ない。手袋越しに伝わるモクマの体温だけが頼りの綱だ。けれどこの温もりも、もうすぐ無くなってしまう。チェズレイの胸がまた少し痛んだ。

「はいっ、到着〜。チェズレイ、今から目隠しを外すけど、おじさんが良いって指示するまでは目を閉じておいてくれ」
「ええ」

 体の動きを止めたチェズレイは大人しくモクマの言う通りにした。衣擦れの音が直に聞こえて、するりと布が抜き取られていく感触がくすぐったい。

「それじゃあカウントダウンをするから、ゼロになったらチェズレイは目を開けてね」

 数字を読み上げるモクマの声が波の音に重なって響く。ゼロ、ゼロか。今からチェズレイが失うことで手にいれるものだ。

 チェズレイの中に何も残らなかった虚無の宣告は、躊躇いなくモクマから振り下ろされ、チェズレイは意を決して目を見開いた。

 チェズレイの予想を遥かに越えた奇妙な光景だった。真っ青な海と空を背景にいくつもの円形のテーブルが並んで、そのすぐ傍にミカグラ島で馴染みのある顔が出揃っている。チェズレイの立ち位置からみて人垣の丁度真ん中にはちょっとした砂浜の小道のようなものが出来ていて、赤の花弁と思われるものが美しい模様を作り足元を飾っていた。道の最奥には白い布が巻きつけられたアーチと、その曲線型に這わせたクレッセントのフラワーアレンジメントが。そしてそのアーチに一番近いテーブルには、チェズレイの人生においてはさほど目にかかる機会のないような大きな物体が占拠していた。あれは、まさか。チェズレイは目を疑いながら、おそるおそるそのテーブルに近づいていった。

 三段重ねのクリームたっぷりの大きなケーキだった。そしてケーキの最上段に添えられたメッセージプレートには、不可解な文字が並んでいる。


 Happy Birthday&Congratulations on your wedding!!


「……モクマさん。少しお伺いしても宜しいですか?」
「うん、いいよ~。何でも聞いて」
「まず今日は私の誕生日ですので、祝福せんとするこの前文については理解出来るのですが。後半の結婚おめでとうの意味が全く分かりませんで」
「んん? シンプルに結婚するんじゃないの?」
「誰が」
「お前さんが」
「……私が? 結婚するんですか? 一体誰と」
「おじさん以外に相手がいるの?」

 モクマの返答に思わずチェズレイが絶句する。呆然として固まるチェズレイにモクマが近づいて、懐から例の四つ折りの世界地図をするりと抜き取った。「ちょっと卑怯かとは思ったんだけどね」と言いながらモクマは、赤い紅葉と水色の花を散りばめた世界をチェズレイに見せつける。

「お前さんと結婚するにあたって、おじさん色々調べてみたんだけど手続きがいまいち分からなくて。やっぱり気持ち的な面で繋がっているとはいっても、それとは別にちゃんとした証も欲しいじゃない。でね、マイカの里では婚姻を結ぶ時には双方の印を押した書類を里長に提出するんだけど、今は俺もお前さんも住所不定でしょ? さて一体どの国でどうやってお前さんと結婚すればいいのって悩んでいたんだけど、結局全世界を征服しさえすればお前さんとの仲を絶対に認めさせられるなって。おじさん気づいちゃった」
「……それはもうポイントカードと言うよりは、単なる婚姻届じゃないですか」
「うん。やっぱり、バレた? えへへ。でもチェズレイ、良いものは貰えたでしょ?」

 最悪だ、とチェズレイはモクマを睨んだ。こんな知り合いだらけの衆人環視の中で、詐欺師であるチェズレイがモクマの謀り事を見抜けなかっただなんて。しかも参加者の中に正装している者がいることから推察すれば、此処に集まった関係者は前もって根回しがされていたのだろう。知らぬはチェズレイばかりだ。あなたって本当に世界一の下衆ですねとチェズレイは吐き捨てた。最初からモクマさんはそのつもりで私にこの地図を。言いかけてそれ以上はもう声にならなかった。

「おじさん下衆だから、絶対にお前さんを逃がしたくなくて。……ごめんね。泣かせるつもりじゃなかった」

 そういうモクマだって言葉尻が滲んでいるくせに。けれどチェズレイからモクマへの文句が告げられることはなく、代わりに熱い涙がほろほろと頬を滑り落ちる。いい年をした大人である自分がこんなふうに抱きしめ合って泣くところを大勢の知り合いに見られたのも初めてだったし、それこそ一生の不覚だとチェズレイは悔しがったけれど。歪んだ視界に映る仲間達の表情はみんな穏やかに嬉しそうに笑っていたので、チェズレイは全ての言葉を満ち溢れる幸福ごと胸の中に呑み込んだ。

 誰もが安心して泣ける世界を。そして誰もが笑っていられる世界を。チェズレイの目指した美しい世界を実感する最初の一人が、まさか自分だとは思いもよらなかった。

「それでは改めて、チェズレイさん。幸せにするとは断言出来ないけれど、今この時にお前さんが隣にいてくれることを俺は心から幸せだと思ってる。だから、これからもどうか俺と一緒に同じ道を歩んではくれませんか?」
「……フフ。喜んで」

 誕生日どころかプロポーズも結婚式も一緒くたにしたことや、馴染みある人達に嬉し泣きする姿を見られた恥ずかしさも相まって、チェズレイはとうとうおかしくて笑いだしてしまった。目じりに浮かぶ涙を指先で掠め取ったモクマと一緒に、これからもずっと笑いながら寄り添って生きていく。

 最初で最後の下品な誕生会であるこの日のことを、モクマとの新たな始まりを約束を皆に誓ったこの時のことを、チェズレイはきっと一生忘れることは出来ないだろう。


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