チェズレイはモクマと一つ大切な約束を交わした。

 お互い決して良い第一印象を持たなかった二人だから、結んだ約束も当然歪なものだった。自らの意志を美しい計画を持って成し遂げるチェズレイにとって、ただ仕方なく生きているだけの自分の生死を簡単に他者に委ねようするモクマが、チェズレイの目的を結果的に掻き乱して邪魔することが心底癪だった。悪意に満ちたチェズレイが苦手な癖に、へらへらとといかにも人懐こそうな笑顔のまま決して突き放そうとしないモクマの態度も、不愉快でおぞましくて堪らなかった。

 モクマにとっては不利すぎたアンバランスな誓約。

 だがその約束に縛られていたからこそ、チェズレイはモクマの本心に近づけたのだろう。チェズレイが手を伸ばしてそれに触れようとした矢先にモクマの逃げ癖が惜しげなく発揮され、あわや取り逃がすところだったけれど。チェズレイは捕まえた。間一髪のところで間に合ったのだ。チェズレイ中でモクマの存在が途方もなく大きくなって、もう二度と手放せないのだと思い知ったのもこの時だった。

 モクマとの約束の解釈を歪めて捉え、屁理屈めいた同道を強いたのはチェズレイの方だ。

 最初こそ思い違えていたが、一方的だと思いこんでいたモクマへの情熱は、どうやらモクマ自身もチェズレイに対して持ち合わせていたらしい。何も告げずにチェズレイの故郷であるヴィンウェイまで追ってきたモクマを、チェズレイに抱える自身の想いを凍えるような山小屋の中で吐露した彼を、チェズレイの人生から切り離すなどということはきっともう不可能だろう。

 チェズレイの世界征服という我儘な夢にモクマを巻き込んだ認識はある。だから今度はチェズレイがモクマのやりたいことに付き合うつもりだった。守り手である以外にも、モクマはモクマなりに興味を唆られているものがたくさんあるはずだ。誰よりも隣でモクマを見てきたチェズレイだから分かる。今はどうしてもチェズレイの夢を優先させているが、これからはモクマの夢を共に追いかけたかった。

 モクマ自身が世界征服の後にやりたいことがあるのなら、それは実に結構なことだ。モクマが望もうが望むまいが、チェズレイは絶対にモクマついていく。モクマのいない人生などチェズレイにはもう考えられない。少なからずモクマはチェズレイに好意を持っているはずだし、同道を拒まれることは絶対にないだろう。チェズレイのこれからの予定に、何も変わることなんてない。今まで通りで、いつも通りだ。チェズレイはモクマが隣にいて、笑いかけてくれさえすればそれだけでいい。

「でも、やっぱり私には一言あってもいいとは思いませんか?」
「今までのテメエの長いくだりはなんだったんだよ」

 部下からモクマのこの先の動向を知らされて早数週間ほどたつが、チェズレイはその間極めて冷静に過ごした。直後はチェズレイの顔に怯えていた部下の二人も、いつもと何ら変わらぬチェズレイの姿に胸を撫で下ろしているようだった。ちなみにチェズレイは大変仲間思いなボスなので、あの時の一件以降モクマのことを二人に追求することはなかった。深く探ったところであれ以上の情報は得られないだろうし、知っていたのならそもそもチェズレイに話をふることもなかっただろうと予測出来たから。

「テメエがおっさん本人に問い詰めりゃいいだろ」
「無論その方法も一度は試みましたがね」

 真実を知りたいのならモクマ自身に直接聞けばいい。それは至極当然で一番の解決方法だったし、チェズレイも思いつくと同時に実行したぐらいだ。

「世界征服が終わったらどうするかって? うーん、そうだなあ。ゆっくり温泉旅行にでも行きたい気持ちはあるけども。お前さんはどう? 何かしたいこととか行きたいところとかある?」

 チェズレイはモクマと一緒にいたいし、モクマがいるのであれば向かう場所が何処であってもいい。だがそれを口に出すのは憚られ、「いえ、今のところは特に」とチェズレイはついつい答えてしまう。

「そっか。じゃあ、何か思いついたらおじさんに教えてね~」

 タブレット越しのアーロンの眉間に皺が寄った。

「上手くはぐらかされてんじゃねーよ」
「……失態でした。とりあえずは私のことも考えていてくださった嬉しさに目が眩んでしまいまして。ですがこれでモクマさんの意向はしっかりと読み取れました」

 モクマには後ろめたいことがあり、それに触れられたくないからこそ質問を質問で返したのだろう。つまり何かを隠していることは明白で、分かったのはモクマはチェズレイに一切伝える気がないという事実だ。

「モクマさんのこれからを私には伝えない。彼がそう決めたのなら、私はそれを受け入れることしました。モクマさんにとってはそれが最善の選択肢なのでしょうし」
「テメエの中で結論が出てるのに、なんでわざわざその話をオレに聞かせんだよ」
「そんなのは私が話したかったからに決まっているではありませんか」

 モクマに対してはこれ以上深く追求しないことに決めた。だが選択したからといって、納得出来たかはまた別の話だ。元々チェズレイは知識欲が強く好奇心も旺盛だ。本音ではモクマの気持ちを知りたくて聞きたくてたまらない。でも自分で決めたことは決して覆さないチェズレイの信念に対して、自らが背くことなど不可能だ。結果毎日をモクマと過ごすだけで、知らぬうちにチェズレイにはフラストレーションがぐんぐん溜まっていった。アーロンからチェズレイに連絡があったのは、チェズレイの溜め込んだストレスが丁度限界に達しそうになっていた頃だ。おそらくは定期的にハスマリーに送り続けている物資のお礼を、アラナにほぼ強制されて仕方なく電話をしたはずだが、チェズレイにとっては渡りに舟だった。つまりは「むしゃくしゃするからしゃべらせろ」ということだ。

 チェズレイが飄々と答えると、アーロンは思わず脱力してしまう。「面倒くせえ」とつい本音を漏らすと、「ええ、そうです私は大層面倒な人間なんです」とチェズレイが即座に言い返した。

「このように面倒な私ですから、実際はただただ怖いだけかもしれませんね。モクマさんがいつしか私に興味を失くす日がくるかもしれないということが」
「あのおっさんが本気で興味ねえ奴を極寒の国までは追いかけねえだろ」
「勿論、ヴィンウェイでのモクマさんのお気持ちを私は疑ったりはしておりませんよ。今までも、そしてこれからも」
「だったらなんで」
「その時はそう思っていても、心変わりは誰にでもありますから。そうして変わっていくものを止める権利は誰にもない」

 チェズレイの言葉にアーロンが押し黙る。アーロンなりにチェズレイが発した台詞に何か思うことがあったのだろう。私も面倒な人間ですが、怪盗殿も大概ですよとチェズレイは内心で呟いた。

「あの人、なかなかどうして物を持ちたがらないのですよね。自分の手に入った瞬間ですら、いつしか至る手放す時のことを常に考えている。流石に物と人を同類にするわけではないのですが、私もモクマさんにとってはそういった物達と同じではないかと思う時があるんですよ。手放す時のことを誰よりも深く考える彼だからこそ執着が生まれて、捨てたくとも捨てられないのではないかとね」
「それはテメエにも同じことが言えんじゃねえのか?」
「そうですね。例えばの話をしましょう。道端に一つのガラス玉が転がっていて、小さな子どもがそれを拾ったとします。太陽の光を浴びてきらきらと輝くガラス玉をその子どもは宝物だと思って大切にします。けれどその子どもが大人になった時に、その宝物が宝石ではなくただのガラス玉というガラクタであると気づくわけです」
「おっさんがその子どもで、詐欺師がガラス玉ってことか?」
「ええ。私は本来モクマさんに守ってもらえるような人種ではありません。何といっても私は根っからの悪党ですから。本来彼が守るべき相手が、『本物』が現れたなら。モクマさんはそちらを選ぶであろうし、そちらを選ぶのが筋だと私は思っています。でもね、その子どもにとって拾ったガラス玉がガラクタでも、ガラス玉にとってはその子どもが唯一の宝物なのです。その事実はずっと変わることはない」

 チェズレイが言い終えると、アーロンが深く溜息をついた。

「あのなあ…クソ詐欺師……」
「……アーロン! 一人で誰とお話してるの? ……あっ、チェズレイさんだ。みんな~! チェズレイさんだよ!」

 アーロンが何かを口にする前に、唐突に可愛らしい声によって遮られた。画面の中に子どもの顔が映りこんだと思った瞬間に、その子どもの掛け声によって数がわらわらと増えていく。

「このガキども。今は電話中だぞ」
「えー、でもアラナにはチェズレイさんとお話する時があるなら、絶対にお礼をするのよって言われてるもん!」
「ね~。チェズレイさん、この間はたくさんの食べ物とお洋服をありがとうございます」
「見て見て。これはチェズレイさんに貰ったお洋服だよ。似合うでしょ」
「ルークが送ってくれるお菓子も美味しいけど、わたしはチェズレイさんがくれたお菓子も大好き」
「おい、お前ら。オレ抜きで勝手に話を続けるな」
「アーロンがチェズレイさんに上手にお礼が出来てるか見張ってるだけだもん! アラナのお手伝いをしてるだけだもん!」

 ハスマリーの子どもたちとアーロンのやり取りにチェズレイは思わず吹き出しそうになってしまう。あの世界の大怪盗もハスマリーの子どもたちの前では、ただの面倒見のいい兄のような存在になってしまうのが少し面白い。

「ご安心ください。感謝の言葉は十分にいただいておりますので」

 チェズレイなりにアーロンに助け船を出すと、彼は心底嫌そうに表情を歪めた。しかしアーロンを囲んで増え続ける子どもの数と、思い思いにチェズレイに語りかける現状に収拾がつかないと判断したらしい。もう切るぞというアーロンの宣告にチェズレイはくすりと笑いながら頷いた。

「……おい、詐欺師」
「何でしょう」
「おっさんは詐欺師が思う以上にしつこいししぶといぞ。それを忘れんなよ」

 ぷつりと回線が途切れた。タブレット画面はもうハスマリーの日常を映してはいないし、アーロンの言い捨てた台詞の意味を確かめようもなかった。タブレットを手放してチェズレイは懐から例の世界地図を取り出した。

 世界征服までチェズレイが制圧すべき地域はあと僅かだ。だが今は嬉しさよりも複雑な気分が勝った。モクマとの思い出と未来への証でもあったこの地図が、モクマと一緒にいれる時間は残り少ないのだぞという現実を突きつけるような、最後通牒のように思えてくる。何が良いものを貰える、だ。チェズレイは恨み節を口に出さずにはいられなかった。

 これからもずっと一緒にいたいなあ、とチェズレイは心を絞るような面持ちで思った。チェズレイにとってモクマという存在は宝物そのもので、大切な相棒で。けれどそれ以上にモクマに対して秘めてきた想いがずっとある。相棒という関係に飽きたらず、もっと他の名前が欲しいと。今まで何度も手放そうとして出来なかったその感情を、いよいよチェズレイは捨て去る時が来たのだろう。

 ふとハスマリーの子どもたちの溢れんばかりの笑顔を思い出した。あたたかな光景だとチェズレイの口元が綻ぶのも無理は無かった。ルークやアーロンが望むのはそんな世界を守ること。全ての人が笑顔でいること。誰も泣かない世界を作り上げることなのだろう。

 けれどチェズレイはその難しさを誰よりも身をもって知っている。世界は思う以上に理不尽で無慈悲だ。誰一人泣かない世界など綺麗事だらけの理想郷で、きっと永遠に叶うことはない。だからといってルーク達の想いをチェズレイは否定する気は一切無かった。

 光のヒーロー達が誰も泣かない世界を目指すというのなら、チェズレイは誰もが安心して泣ける世界を作りたい。

 モクマの傍らにありたいと願う気持ちも、モクマには幸せになって欲しいと祈る感情も、どちらもチェズレイにとっては本物で嘘じゃない。あたたかな涙を零すモクマの隣に例え自分の存在が無かったとしても、チェズレイはきっと笑える。


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