第一印象はお互いに最悪なものだったと断言出来る。当時のチェズレイといえば自身を裏切ったファントムへの復讐に業火の如く燃え、ようやく尻尾を捕まえたと実行の機会を虎視眈々と狙っていた時期だ。ルークとアーロンの存在も当然のように復讐の歯車に組み込み、己の計画の為に影から全てを操る。千載一遇のチャンスをしたたかに待ち、結果はどうあれチェズレイの計画はほぼ想定通りに遂行されるはずだった。

 しかし緻密に計算されたそのチェズレイの計画をぶち壊しにしたのはモクマだった。

 裏で人知れず暗躍するはずだった彼は、モクマの手で無理やり表舞台に立たせられた。しかもその理由と言えば表向きには他者を守りたいという正当性があるものに見えて、実質は根腐れをおこしきったモクマの信条だ。計画に変更はつきものとはいえ、相矛盾したモクマの生き様にあっけなく邪魔されたチェズレイはきっと腸が煮えくり立っていたことだろう。その胸中の憤怒たるや如何なものか、モクマは想像だに出来ない。

 身勝手に振り回した挙句に散々利用したモクマを、それでもチェズレイは最後まで見放さなかった。生まれつきながらの悪党だと宣う割に、チェズレイが他者に傾ける情念は深い。でなければ自身を傷つけてまでモクマを立ち直らせようとはしなかっただろう。チェズレイは自らの美学に反する下衆は容認しないが、裏を返せばそうでない者にはどこまでも情け深い。モクマがチェズレイとの同道をすんなりと受け入れたのは、彼のそんな側面に強く心が惹かれたというのが大きい。

 ほんの数年前のモクマは、この先もずっと独りきりで生きていくのだと思っていた。実の父のように慕っていた主をこの手で殺めた大罪だ。自ら命を絶つことも許されず、抜け殻のように生き長らえる。それがモクマにとっての唯一の罪滅ぼしで、抗うことすら許されない道理だと思い込んでいた。

 それなのに今のモクマの隣にはチェズレイがいる。

 彼との出会いから今までのことをモクマは全て覚えている。それなのに時折、チェズレイがモクマの傍らで笑っているのが不思議で不思議でたまらない瞬間がある。片時も離れることのない相棒が、増してや夫婦に間違われるくらいに近い存在が今のモクマにはあるのだ。ミカグラ島を離れた当時の自分に今のモクマのことを話しても、きっと信じてもらえないだろう。モクマにとってチェズレイとの邂逅とは、砂漠の中でほんの一握りの宝石を見つけるような奇跡に等しいことだった。

「子ども向けのアニメにしては構成は割としっかりとしていらっしゃいましたね。ただワルサムライはともかくとしてアクシャミセンが行方知れずのままに終わりというのは個人的には納得いたしかねます。しかしルリ姫との共生を選んだニンジャジャンの意思を尊重したいのも事実。ですので落としどころです。ニンジャジャンは実際には二人存在していて、随時入れ替わりながら一人のニンジャジャンを演じていたというのはどうでしょう。ルリ姫を選ばなかったもう一人のニンジャジャンはアクシャミセンと一緒に今も世界中を駆け巡っていると。これならば話的にも矛盾せずに誰もが満足出来る結末だと思うのですが……。モクマさん、聞いていらっしゃいます?」

 回想に浸りきってまたもや意識を飛ばしかけていたモクマに、揚々と映画の感想を述べていたチェズレイが声をかける。

「……ごめん、何だっけ」
「デートの最中に上の空とはいただけませんねェ。相手がこの私でなければあなた、とっくに振られていますからね」

 慌ててチェズレイの顔を仰ぎ見たモクマだったが、不穏な言葉とは裏腹に彼の表情は晴れやかだった。

「あなたが何に想いを馳せていたのかを追及したい気持ちはままありますが、今は現実の世界に集中しましょう」

 モクマの態度に怒るような素振りは全く見せずに、さあ次はここですとチェズレイが案内した場所は、映画館の近隣にある映画やアニメグッズを中心としたテナントショップだった。高いビルの一階部分を大きくくり貫いた開放的な店頭には今しがたスクリーンの中で大活躍していたニンジャジャンのぬいぐるみや、作中で彼が使用していた手裏剣のレプリカなどが行儀良く並んでいる。映画館からは少し遠く感じるが、映画鑑賞後の客がお互いの感想をちょっとだけ語り合いながら歩く距離としては十分だろう。一般的なデートがどういうものかを検証する術がモクマにはほとんどないが、デートコースとしては王道なものだろう。

「お前さんって、結構形から入るタイプだよね」
「そうですねェ。変装にしろ何にしろ事前にしっかり調査する主義なのですが、状況によっては先に姿かたちを変えて探りながら演じることもありますし。場当たり感は否めませんが形から入るのも嫌いではありませんよ。何しろスリルもあります」

 映画館の中ではやたら人の目を引いた二人だったが、ショップの中ではそうでもなかった。利用客は子どもを連れた家族が割合としてはやはり多いが、大人だけのグループで来店している者も多い。入場制限も特にない店内の中は、人種のるつぼのようになっていてモクマとチェズレイの存在も上手くその場に埋もれていく。

「それで、お前さんはその大量のぬいぐるみを購入するつもりなのかい?」
「ええ。勿論私物用ではなくプレゼント用ですが。懸命の布教により最近ハスマリーの子ども達もニンジャジャンに興味を抱き始めたようだと先日ボスからお話がありました。私もこうして映画を視聴したことですし、同じ作品を共有出来た記念として是非お贈りしようかと」

 チェズレイが深く観察し考慮を重ねたうえで、モクマが持つ買い物かごにぽいぽいと商品を入れていく。

「アラナ嬢にお願いして、後ほどぬいぐるみに囲まれた子どもたちの写真でも送っていただきましょう。無論怪盗殿も一緒に。ボスが以前にお渡ししたビースト人形に集合していただくのも楽しそうですね」
「うわあ。アーロン凄く嫌がりそう」
「何をおっしゃいます。これは列記とした嫌がらせなので、怪盗殿には本気で嫌がっていただきますよ」

 会話の内容はさて置きながらモクマと共に買い物をするチェズレイはさも楽しそうだ。世間一般的には仮面の詐欺師と謡われているチェズレイだが、クールな一見とは裏腹に実は喜怒哀楽ははっきりとしている。チェズレイに近しい者であれば分かるが、彼は感情表現が非常に豊かなのだ。

「ねえ、モクマさん。あちらとこちらの商品ではどちらが気に入ると思いますか? ……そうですか、モクマさんはそちらをお選びになるんですね。けれど私はこちらの方が良いと思いますので、折衷案として両方購入することにします」

 果たしてモクマに伺いを立てる意味があったのかと疑問に思うが、満面の笑みを浮かべて楽しいという感情を隠しもしないチェズレイを前にすると、まあいいかという気分にさえなる。

 チェズレイと相棒になってから早数年経過しているが、まるで夢のようにあっという間だった。しかしモクマの体感に反して着実に二人の間には時間という歴史が刻まれている。チェズレイが楽しそうにするだけでモクマも一緒に嬉しくなってしまうのも、時の流れによる変化の一つなのだろう。

 モクマが見上げたすぐ先ににこりと笑うチェズレイの姿がある。あ、いいな、その顔。可愛い。

 瞬間モクマの全身にどっと冷汗が押し寄せた。自分が今まさに何を考えていたのかを理解し、モクマはただただ呆然とする。いやいやいや、可愛いって何? おじさんたった今チェズレイのことを可愛いと思った? あまりにも飛躍した発想をモクマは必死に否定したいが、当の本人が証人なのだから逃げ場がない。確かにチェズレイはとびっきりの美人さんだけど、おじさんがそれを可愛いと表現したり考えたりするのは違うのでは? モクマはぶるぶると首を振る。

 仮にも今はチェズレイと夫婦であるという設定だが、明らかに感情移入のし過ぎだ。一体誰がそこまでやれと言ったと、モクマは誰にも気づかれぬよう自分自身を叱りつける。

「そういえば店内のどこかでACEくんと手を繋いだニンジャジャンのぬいぐるみをお見かけしましたよねェ。あちらも手に入れておきましょうか」
「あ、それなら確かこっちの方に。ほら、あった」
「へえ……こちらの商品はミカグラ島で今しか販売されていない期間限定商品だそうですよ。しかもこちらが最後の一つのようで。そうですね、折角ならこちらはボスにお送りしましょうか」

 動揺した自分を悟られないようチェズレイとの会話を上手く繋ぐ。モクマの言葉通りにディスプレイ棚に一つだけ鎮座するぬいぐるみにチェズレイが腕を伸ばしかけた時だった。

「あっ……ダメッ、取っちゃダメ!!」

 二人は下方から唐突に声を当てられる。明確な強い制止の言葉に、ぬいぐるみに触れかけていたチェズレイの指先がぴたりと止まる。声がした方向を見るとモクマとチェズレイの足元にはいつの間にか小さな女の子がいて、スカートの裾を両手でぎゅっと掴みながらこちらを見上げている。四、五歳くらいの子だろうか。肩の位置で二つに結んだふわふわとした髪と淡い緑色の瞳が印象的だった。こちらを一心に見つめるその瞳は心なしか潤んでいる。

「お嬢ちゃん、おじさん達に何かご用かい?」

 ヒーローショーでモクマがいつもそうするようにモクマはその少女に向かって優しく問いかける。何かを訴えるようでそれでもじっと唇を噛みしめ続ける女の子をそっと見守っていると、背後から誰かの名前を呼ぶような声が聞こえ、もしかしてとモクマは振り向く。こちらを目掛けて小走りで駆け寄ってくる女性に、女の子が「ママ」と口にしたのをモクマは聞き逃さなかった。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 母親らしき女性が少女の小さな体を軽く抱きしめた後、モクマとチェズレイに向かって小さく謝罪する。迷惑なことなど何一つなかったと否定の意味を込めてモクマが片手を振るが、それだけで少女の母親は納得しない。

「お店の中ではお母さんと手を繋ぐこと、お買い物はきちんと順番を守ること。ここに来る前にお母さんと一緒に約束したよね?」
「……した…けど……。……でも……だって……」

 ずっと欲しかったのにその人に取られちゃいそうだったんだもん。そのお人形は私のだもん。窘める母親に向かって絞り出すような声を出し、感極まったように少女はぼろぼろと涙を零してしまった。スカートを掴む小さな二つの拳が強く握りすぎて真っ白になっている。流石に泣かれるとは思っていなかったのか、母親のほうも途端におろおろとし始めてしまう。

「それはそれは大変な失礼をいたしました」

 そんな不穏な空気を払拭したのはチェズレイだった。迷うことなく件のぬいぐるみを棚の上から片手で取り、そのまま少女の目線に合わせてしゃがみこむ。至近距離でチェズレイの顔を見た少女はびっくりしたのか、泣いていたことも忘れてぱちぱちと瞳を瞬かせる。

「心配なさらずともこの人形はあなたのものですよ。自らの意志できちんと手を上げ、声を出して主張したあなたの」

 チェズレイはそう告げて少女に向かって手を繋いだ人形をそっと手渡しする。女の子の腕に囲まれた仲の良いぬいぐるみ達は、まるでこの場所に最初からいたかのようにしっくりと馴染んでいた。



「今更だとは思うけど、あのぬいぐるみの件はお前さんとしてはそれで良かったのかい?」

深くお辞儀をする二人組の家族を店先で見送った後、ほどなくして商品の選定が全て終わった。架空の住所をすらすらと送り状に書き連ねるチェズレイに、モクマはふと疑問に思ったことを口にする。

「正確に言えば購入していないものを自分のものだと主張するのは横暴ですからねェ。私にとってあの商品は単なるプレゼント候補の一つにすぎません。ぬいぐるみに対する想いも私とあの少女では全く重みが違います。無論お譲りしますよ。あんな表情で、あれだけ切望されれば」
「……ふうん、そういうものかねえ」

 チェズレイの指示通りにモクマは贈り物を段ボール箱にぎゅうぎゅうに押し込める。彼の台詞にモクマは納得したように頷いて、でもどこか腑に落ちなかった。


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