4.


 別荘に戻る頃には二人とも体がすっかりと冷え切ってしまっていた。チェズレイはモクマから一歩後ろを遅れて部屋に入る。

「チェズレイ。先にお風呂に入っておいで」
「嫌です。モクマさんこそお先にどうぞ」

 振り返ったモクマに、ふい、とチェズレイは目を背けた。涙の跡が残る顔をあまり見られたくなかった。

「モクマさんの方が外にいた時間も長いので」
「でも」
「早ければ早いほど、私も風邪を引かなくてすみます」

 ここで押し問答を繰り返した時間だけ、ますます二人の体温が失われていくだけだ。チェズレイの言い分にモクマは苦笑して、なら、お言葉に甘えてと頷いた。

 部屋にチェズレイだけが取り残される。ぱさりと羽織っただけのコートを落として、チェズレイはソファーに体を預けた。両手を組んだまま、首をゆっくりと天井に向けて傾ける。モクマの足音が掻き消えて、やがて完全に静寂が訪れた。

 肺いっぱいに息を吸い込み、そして吐いた。瞳を閉じて、己の世界に潜りこみながら外の世界に意識を尖らせる。真白の世界に佇む、一人だけの自分。虚空を見つめるチェズレイの傍らに、やがてモクマが現れる。途端凍り付いた世界は氷塊し、あたたかな光に包まれる。ああ、とチェズレイは思った。


 涙で腫れた瞼をゆっくりと持ち上げれば、視界が開けた。チェズレイは唇の端で笑った。


 モクマは一つ、大きな思い違いをしている。


***


 バスルームの扉を開ければ、驚愕に満ちたモクマの顔がチェズレイを出迎えた。白く立ち込めた湯気を逃がさないようにと入口を塞げば、そこは二人だけの完全な密室になる。

「ちょーっと来るのが早すぎるんじゃないかな。おじさん、あと少しで終わるからさ。もう少し待っててよ」

 分かっているくせに、とチェズレイは心の中で舌打ちした。まだ体に泡が残るモクマの体に、チェズレイは無言で飛び込む。チェズレイの衣服はとうに脱ぎ捨ててある。何もかもを取り払ったチェズレイに、隠すものもなければ怖いものもなかった。初めて直接的に触れたモクマの肌は、湯に濡れてしっとりと温かくなっていた。

 それでもまだ抵抗を目論むモクマは、チェズレイの両腕にそっと手をかける。受け入れるでも突き放すでもない、モクマの迷いにチェズレイはじれったさを感じる。抜け出すように、チェズレイは身体をするりと下に落とした。下肢にタイルの感触があたり、転がり落ちたシャワーヘッドからは絶え間なく湯がだらだらと流れている。

 他人のそれをまじまじと至近距離で見た経験も、何らかの意思を持って触れたこともチェズレイには無かった。まだ何の反応も見せないモクマに、チェズレイはおそるおそる手を伸ばした。手袋もない直接的な感触に、チェズレイは嫌悪の一切を感じなかった。輪郭を確かめるように軽く握って、手の中で緩くしごく。ぴくりと僅かに蠢いたそれにチェズレイは少しだけ可愛らしさを覚えて、そしてそんな自分にも驚いた。

 息を堪えるように、逃すように、モクマが自分の名前を呼んだ。

 みるみるうちに硬く大きくなっていくのを掌の中に弄ぶ。ちらり と盗み見たモクマはきつく目を閉じて、チェズレイの猛攻に耐えている。漏らす吐息が既に色づいていた。本当に往生際の悪い男だと、気づかれぬようチェズレイは嘆息した。緩く勃ちあがったものを名残おしく指から離して、のろのろと口を寄せた。

 ぺろり、と先端を軽く舐めてみる。ぎくりとモクマの体が強張った。驚きと期待に満ちた目がチェズレイを見下ろしていた。ぞくぞくと背筋を駆け上がる感覚にチェズレイがふと笑みを落として、躊躇いなく舌を押し付ける。水に濡れた跡を追って、下から先にむかってゆっくりと舐めあげると、先端からじわりと雫が垂れた。気を良くしてチェズレイは、モクマを追い上げた。モクマの片手がチェズレイの頭に向かったのをきっかけに、チェズレイは咥内にモクマを招き入れた。

「無理はしなくてもいいから」

 今更何を言っているのかとチェズレイは胸中で毒づく。気遣うような優しい言葉とは裏腹に、口の中でぐっと膨らむ感覚がした。モクマの太腿に手を押し付けて、反撃するかのようにリズミカルに上下に動かす。チェズレイの髪の中に潜り込んだ指が、ぐっと強さを増した。喉の奥に熱い塊が届き、チェズレイの呼吸を奪う。苦しくて思わず目尻に涙が浮かんだが、離したくなかった。離れたくなかった。無我夢中でモクマを執拗に攻め立てた。時折、息をつめるモクマの表情を盗み見る。チェズレイの奥がじわりと熱くなって、どうしようもなく体が疼いた。

モクマがチェズレイの中でひくひくと痙攣する。モクマの息が上がり、チェズレイの口の中にぬるりと苦い感触が広がった。開いた唇の隙間から白いものが零れて、ぽとりとチェズレイの膝の上に落ちる。こぽ、と排水溝から何かが滞るような音がした。息を整えようとしているモクマを、強引にタイルの上に引き寄せる。同じ目線になったモクマの足の間を割ってチェズレイは、モクマの目を捕らえた。

「モクマさん。モクマさんは覚えていますか?昔、ミカグラの空港でピアノに夢中になっていた私の頭を、事もあろうにはたいたこと」

 突然何を言い出すのだと怪訝な表情を浮かべたモクマは、チェズレイの質問に覚えていると素直に頷く。モクマから見たチェズレイの顔には、それとなく隠していた因縁の相手からつけられた傷跡が残っていた。チェズレイはそれを気に留めることもなく、モクマに詰め寄る。

「親にも叩かれたこともないのに、とあなたは言いました。実際、モクマさんのおっしゃた通りです。他人から、親ですらも、私は私を傷つける者を許さなかった。だからこそ、この私に深い傷跡を残していった人間のことが心底憎くて堪らなかった」

 示すように自分の目元に手を寄せて、今度はモクマの頬にチェズレイはそっと指先を這わせる。少し髭の当たる感触を楽しんで、チェズレイは一つ息をつく。これからモクマに告げる言葉を何度も何度も頭の中で反芻する。自分の中の余る想いを伝えることが、こんなにも苦しいことだとは思わなかった。待ちながら、そっとチェズレイを見守るモクマの瞳が優しい。好きだ、と思った。この人が、どうしようもなく好きだと、心から。

「それなのに、ビルから落とされたあなたを助けたとき、受けた傷を私は何とも思いませんでした。むしろ、あなたの命が無事だったと分かったときは本当に本当に嬉しかった。傷から体中に広がった痛みが、それこそ喜びに変わるくらいに」


 思えば、最初からそうでしたとチェズレイは目を細める。


「マイカの里であなたが過去に向き合った時ですら、私はモクマさんに傷つけられる覚悟が出来ていた。それは、あなたと傷つけあう為じゃなかった。私はあなたと分かち合いたかったんですよ。傷つけて、傷つけることでしか得られなかった、喜びを」


 チェズレイは屈託なく笑う。迷いのない瞳だった。


「モクマさん、私はあなたが好きです」


 思えばモクマに対して告白らしい告白をしてこなかったなとチェズレイは振り返る。苦難を共にした二人の間では言葉にしなくても意思を通い合わせることは簡単だ。けれど、だからこそ言わなくてはならない言葉もあるのだろう。


「あなたがすき」


 チェズレイは知った。それ故、モクマに伝えるのだ。


「すき」


 どうか届いて。


「私はあなたになら、いくら傷つけられても構わない。あなたにだけ、傷つけられたい」


 そして深い傷の奥に隠れる喜びを、一緒に抱き合いたい。他の誰でもない、モクマと。


 唇に柔らかい感触がした。モクマの顔がチェズレイの目前にあった。理解するよりも前にねっとりと熱いものがチェズレイの口に差し込まれる。モクマの舌が生き物のように蠢き、無意識に奥に逃げたチェズレイの舌を絡めとる。モクマのものを受け入れた時とは違って、きつく吸われる度にじん、と頭の奥が痺れた。苦くはないのかなというやや現実的な考えは次第に薄れ、チェズレイの胸は歓喜でいっぱいになる。


 ああ、ずっと。ずっとこれが欲しかった。



 真新しいシーツにはモクマの匂いがついていないから、チェズレイは酷く残念がった。けれどそんな考えはものの一瞬で消え去った。真剣な表情をしたモクマが、ベッドの上でじっとチェズレイを見下ろしている。かと思えば、ゆっくりと顔を近づけてチェズレイの首筋に唇を押し当てた。水にしめった肌がぴたりと合わさって、その感触が妙に気恥ずかしい。モクマの腕がチェズレイの背中に巻き付いて、そのまま抱き寄せられた。モクマの匂いがした。胸いっぱいに吸い込んで、くらりと眩暈を起こしそうになる。チェズレイの好きな香りだった。

 長い口付けが終わった直後、モクマが立ち上がって、恍惚に震えていたチェズレイの腕を掴み、バスルームから飛び出した。ぼたぼたと水滴で廊下に道筋を描きながら辿りついたのはモクマの為の部屋で、あっという間にチェズレイは抱え上げられてベッドの上に放り投げられた。

「…………後悔しない?」

 ずっと無言だったモクマがようやく発した言葉がそれで、チェズレイは思わず笑ってしまった。

「しませんよ。無理をしてでも手を伸ばさなければ、きっと一生後悔すると分かっていますから」
「そうか」
「むしろ後で悔やむのはモクマさんの方かもしれませんよ」
「どうかなあ。多分、それはないとは思うけど」
「随分自信がおありのようですが、根拠は?」
「お前さんに捕まってから、今まで一度だって後悔したことがないから」

 チェズレイは絶句した。あまりに強烈な殺し文句に、じわじわと羞恥心がこみ上げてくる。顔を赤らめてぐ、と歯を噛み締めると、モクマが楽し気に喉の奥で笑う。まるでいたいけな子供をからかうようなモクマの態度に、口をすぼめて文句を言おうとする。軽くつつくように、モクマの唇が触れた。目を見開くチェズレイの様子を窺って、もう一度。触れる感覚が次第に長くなっていき、チェズレイの唇から声が漏れた。次第に体から力が抜けていき、チェズレイは自分自身が緊張していたのだと今更ながらに気づいた。

 モクマの手がチェズレイの肌に触れる。脇腹から緩やかに刺激を与えるように、掌で押される。モクマの触ったところから、むず痒さのようなざわざわとした何かが広がっていった。モクマの指が臍に入り、感触を楽しむように幾度となく出入りしたかと思えば、もう一方の手はチェズレイの胸の尖りの周りをゆっくりと撫でている。他愛無い肌の触れ合いなのに、チェズレイの昂ぶりはどんどん増していった。そんなチェズレイの様子を、モクマに見られている。そう考えるだけで、チェズレイは強烈な興奮を覚えていた。

 モクマの指がチェズレイの胸の尖りを捕らえて、チェズレイは思わず身を捩った。こするように親指と人差し指で摘まれて、モクマとは思えない繊細な動きにチェズレイは、笑いだしそうになって必死に堪えた。けれどそんな余裕はすぐになくなった。くすぐったいだけだと思っていた指の動きは、慣れていくうちにどんどん快感にすり替わっていく。はあ、と思わず湿った吐息が零れた。

「チェズレイ」
「……んぅ…」

 また唇を塞がれた。と思えば、兆しはじめていたチェズレイにモクマの指が絡まる。上下に擦られて、チェズレイの背筋がぞくりと震える。なのに唇は離して貰えなくて、くぐもった声が僅かに口から洩れた。自分とは思えない声だった。先走りがだらだらとモクマの指を汚していると自覚すると同時に、同じような熱量がチェズレイの昂ぶりに押しつけられる。息苦しさに目を閉じたチェズレイだったが、それが何かは簡単に検討がついた。

「………っん……ふ」

 二人分の熱が、モクマの掌によって追い詰められていく。お互いのそれがどくり強く波打った。耳を塞ぎたくなるような濡れた音が響き始める。荒い息遣いを感じて、思わず瞼を押し上げてモクマを見る。燃えるような情に濡れたモクマの瞳が、鋭くチェズレイを射抜いた。チェズレイの体がより一層火照る。ぷはり、とようやく唇を離された頃には、お互いに限界が近かった。

「……うっ…あっ…やあっ…」
「……っ……」

 いやいやと首を振りながら高みを迎えたチェズレイの後を追って、モクマも果てる。ほぼ同時に二人で息を詰めて、同じように吹き返した。はあ、と大きく肩を震わせながら、チェズレイは呼吸を繰り返す。二人分の欲に濡れたモクマの指が、大きく足を開かされたチェズレイの付け根へとそっと伸ばされる。モクマの左手が膝裏を掴み、チェズレイの全てが晒される。窄まった周囲に液を何度か塗り込んだ後、つぷりとモクマの指が突き入れられた。 「………ふ……んっ…」  ぬめりのおかげで痛くはなかったが、指先だけだというのに違和感が酷かった。何とか意識を逃そうと、眉間に皺を寄せてふーふーと息をつく。チェズレイを気遣うようにモクマの指が丁寧にチェズレイの内部を擦る。次第に腰がむずむずと疼き出した。指がゆっくりと奥に突き進む。逃げ出しそうになるチェズレイの足を、モクマが強く抑えた。

「………もう少し、頑張れる?」
「……あっ…は、」

 チェズレイが答える間もなく、内壁を蠢く指の本数が増えていた。人の意見を聞く気もないのになぜ問いかけたのか。疑問は白み始めた意識に消える。ゆっくりと時間をかけて解されて、強かった圧迫感が霧散した。チェズレイの息が荒くなる。もっとゆっくりと思う一方で、早く、早くとねだりたくなる気持ちでいっぱいだった。突然、ぴり、とした痛みのような痺れを感じて、チェズレイは短く悲鳴を上げた。モクマの動きを止めるよりも早く、何度も同じ場所を責め立てる。じわ、とチェズレイの瞳に涙が滲んだ。思い出したように反応を見せるチェズレイをモクマが虐める。そうされるともう我慢が利かなかった。両手を伸ばしてモクマの顔を強引に引き寄せて。まだ濡れた髪に指を滑り込ませて、耳元で囁く。

「…もっ……いい…から……」

 舌ったらずな甘えたような声に、モクマの気配があからさまに反応したので、チェズレイは心の中で笑ってしまった。くちゅりと水音を立てて、モクマの指がチェズレイの中から引き抜かれる。ほっと安堵したと同時に、急に物足りなさも感じる。ひくひくと動くそこが自分のものでないような気がした。視界に、モクマの顔が割り込んだ。短く息をつき余裕を失ったモクマの表情の理由が、チェズレイの痴態にあったのは一目瞭然だった。チェズレイの胸がとくりと高鳴る。

「……もし痛かったら、同じだけのものをモクマさんにも味わってもらいますから」
「はは、それは怖いな」

 モクマの先端が入口にあたった。チェズレイが深く息を吐き出すのを見計って、モクマが腰を押し進める。

「……う…あっ…!!」
「……くっ……チェズレイ、もっと、力抜いて…」
「…ふ、う…かってな、ことを……」

 指とは比べ物にならない苦しさに、チェズレイははくはくと小さく息をつくのがやっとだった。苦しい、苦しい、熱い。限界まで引き延ばされた後孔はそれでもモクマの全ては収まりきらない。チェズレイは目の前のモクマの身体にしがみついた。じっくりと慣らすように、モクマはチェズレイの最奥を目指す。内壁をこじ開けてやっと全てが入り切った頃には、どっと汗が噴き出て、二人とも息も絶え絶えになっていた。

 余りにも真剣なお互いの表情に、目を見つめ合わせて笑った。

 小刻みにモクマの身体が揺れる。チェズレイの名を呼ぶモクマの切れ切れの声が、何度も何度も汗と共に落とされた。チェズレイの弱いところを狙って、抉られる。痺れるような衝撃がチェズレイを襲った。

「…あっ…ふ…んっ…や、そこ…ばっかり…!!」

 執拗に責め立てられて非難の声をあげても、モクマの動きは弱くなるどころか激しくなる一方だった。睨んで視線で訴えると、モクマが、ただ一言可愛い、と熱に浮かされたように告げた。かっと胸の奥が熱くなった。ずるずると限界まで引き抜いて、チェズレイの一番奥まで容赦なく穿つ。狭い道がモクマの形に広げられる。もう耐えられなかった。堪えきれるはずもなかった。頭から足の爪先まで電流のような刺激が駆け抜けた。チェズレイの内部が、モクマの熱い情欲をきゅうきゅうに締め付ける。襞が執拗にモクマに絡みつくのを感じながら、目の前でちかちかと光が弾けた。

「……んあっ…あ、…っ…!!」


 視界の色が白く飛んだ。精を思う存分吐き出したチェズレイから一拍遅れて、深く深くチェズレイを貫いたモクマも内壁に熱を注ぐ。その感覚に、チェズレイは全身を震わせた。終わった、とチェズレイは思った。覚悟していたものよりは、随分楽だったような気がする。きっとモクマが丁寧にチェズレイの体を開いていったおかげだった。モクマとようやく一つになれたという事実が嬉しくて、胸が詰まった。

「…………あ?」

 穏やかだった状況が一変したのはその後だ。チェズレイの中から未だ抜け出すことなく留まっているモクマ自身が、腹の中で大きく膨らんでいくのが分かった。何のつもりだとチェズレイが問いただすよりも先に、モクマが言った。

「今までずっと我慢していたのは、お前さんだけじゃないってことだ」

 悪びれもなくにこりとした表情で笑うモクマを凝視して、チェズレイは血の気が引いた。こういう時のモクマは、冗談ではなく本気も本気なのだ。危機感を覚えて逃げようとしたチェズレイの体は、モクマによって簡単に抑え込まれた。今日が初めてだというのに、これ以上は絶対に無理だ。嘆願するよりも早く、モクマがチェズレイの体を一つ突きあげた。絶頂を迎えたばかりの身体は、そんな些細な刺激でも反応し快感に変えてしまう。小さく喘ぐ姿に煽られるように、モクマはチェズレイの体にどっぷりと溺れていく。無理はしなくてもいいというあの台詞は一体何だったのか。容赦なく揺さぶられる中で浮かんだ恨み言を、結局チェズレイからモクマに伝えることは出来なかった。



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