mellow mellow


 つまりはギャップに弱いのだとナデシコは頬張ったイチゴのパフェを飲み込んだ後に言った。ギャップ、とついチェズレイの口から漏れた言葉が、隣に座っていたスイのものと重なる。次期警視総監の最有力候補だと密かに噂されるナデシコが頬に生クリームをつけたままにこりと笑う姿は、成程確かにインパクトは大きかった。



 真っ昼間からのんびりと散歩をする猫のような習慣が勿論チェズレイにあるわけもなく、簡単に言えば単なる代役だった。ヒーローショーの仕事場に通う裏道で、一人暮らしの老婦人と出会ったのはたまたまだったとモクマは言う。同じ時間同じ場所で何度も顔を合わせているうちに、軽い挨拶だけだった二人の接触は家の中に招かれて世間話や身の上話をするまでになったらしい。遠く離れて暮らす彼女の息子が丁度おじさんの年と同じくらいだから。帰りがけに大量のお惣菜を持たされて帰ってくるモクマに一体どこまで人たらしなのかとチェズレイは呆れたが、夕食の前に一口つまんだ、というよりはモクマによって無理矢理つまされた料理はほろほろとして存外に美味しかったので、チェズレイは文句も言わずに黙って口を閉じた。

 現場でアクシデントがあったと、モクマが慌てて出かけたのは陽が昇って間もない今朝方のことだ。物音で目を覚ましたチェズレイが成り行きでモクマを見送った際、小さな紙切れを押し込むような形で手渡された。悪いけど様子を見に行ってもらえんかな。言葉の割にモクマは全く悪びれた表情をしておらず、挙句チェズレイの返事を待たぬまま颯爽と出て行ってしまった。どうして私が、と不満がむくむくと湧き上がったが、夕食のおすそ分けということで幾ばくかの恩恵があったことも事実だ。悪党とはいえチェズレイは礼節を極めて重んじるタイプだ。この機会にお礼の一つや二つすることは、チェズレイにとって悪い話ではないのかもしれない。

 小さな菓子折りを一つ用意して、チェズレイはモクマの指示通りに老婦人の家にやってきた。達筆な文字で記された場所は大通りから数本外れた道なりにあって、街の中の賑やかな声はほとんど届かない。交通の便と住みやすさを鑑みれば、老人が一人で暮らすには丁度いいのかもしれない。街の中では珍しい塀に囲まれた平屋建ての一軒家の前で、インターフォンを押そうとしたチェズレイはふと我に返った。モクマのお使いでのこのことここまでやってきたが、一体どうやってそれを老婦人に説明すればいいのか。

 チェズレイは自他共に認める完璧な詐欺師で、モクマとは少し違った意味で他人の深層心理に入り込むのが得意だ。ただそれは全くの見ず知らずの他人であることが前提の話で、知り合いの知り合いとなれば若干勝手が違う。そもそもチェズレイは裏の世界の人間であり、しかもここ数年は単独で行動してきたこともあるので、その交流関係は決して広くはない。ましてや長年の復讐を果たすためだけに入ったチームの内一人の茶飲み仲間に会いに行くなんて稀有な機会があるわけもなかった。しかも心配だから顔を見に行くなどという恐ろしいほどまで悠長な目的で。

 インターフォンから人差し指を浮かせた状態でチェズレイがあれこれ悩んでいると、がらりと平屋の玄関が音を立て開いた。すらりとした姿勢の良い女性が玄関から現れ、棒のように立っていたチェズレイと目が合う。薄い浅黄色の長袖のトップスにくるぶしまで隠れる白のロングスカートがとてもよく似合っていて、おそらく同年代と比べたらその老婦人はかなり若々しく見えるだろう。一人暮らしとモクマは言っていたが、老婦人に一切不穏な空気は感じられない。家や小さな庭の様子が荒れていないことを推察するに、老婦人の配偶者は生活するに困らない財産を彼女に残したであろうことが窺えた。

「あの、どちらさまで」

 お得意の人間観察に耽っていたのチェズレイを怪しんだ老婦人が、こわごわと問いかける。チェズレイははっと我に返って、慌てて体裁を取り繕った。

「はじめまして。私はチェズレイ・ニコルズと申します。実はモクマさんに……」

 モクマという名前を出したところで、疑わしい視線を送っていた老婦人の目が一瞬にして爛々と輝きだしたのをチェズレイは見逃さなかった。

「あらあらあら。あなたがモクマくんの。やだ、それを早く言ってちょうだい。ささ、早く中に入って」

 何処かで聞き覚えのあるフレーズに、思わずチェズレイがたじろぐ。実はモクマさんに頼まれて、あなたの様子を確認しに来ただけなんです。続く言葉を口に出すよりも早く、あれよあれよとチェズレイは腕をつかまれ家の中に引きずりこまれてしまう。この細い腕のどこにそんな力があるのか。驚くほど老婦人の腕っぷしは強かった。

 マイカの里だけではなくミカグラ島に住む女性は、総じて強引な性格が多いのかもしれない。年上の淑女に手荒く抗うことも出来ないチェズレイは、大人しく従う他しかなかった。

 こじんまりとした部屋だった。規則正しく敷き詰められた畳は、歳月の流れは感じるものの傷みは少ない。年季の入った調度品も、古さは感じるものの丁寧に扱われているのが分かる。マイカの里で過ごした屋敷のような豪華さはないものの、落ち着きを纏った佇まいだ。 どうぞと差し出された緑茶の入った湯呑に口をつけながら、チェズレイはほっと息をつく。

「こんな立派なお菓子までいただいちゃって。悪いわねえ」
「いえ、いつもモクマさんがお世話になっておりますので」
「そういえば、モクマくんは今日は来られないのかしら」

 長方形型の木製のテーブル越しに、チェズレイと同じように正座をした老婦人が問いかける。モクマという名を口にしただけで、理由も問わずによく知りもしない人間を家にあげる不用心さが幾ばくか気にかかった。今回は例外とはいえ、チェズレイは怪しさを代表するような詐欺師だ。モクマをくん付けするあたり、親交の深さがフィルターとなって盲目的になっているのかもしれないが、危機感が足りないと思わざるを得ない。

「ご存知かとは思いますが、モクマさんはヒーローショーでメインの役を演じておりまして。今朝早く現場でトラブルがあったようで、そちらの対応に当たっています。モクマさんがお訪ねになれない代わりにあなたの様子を見てきてもらいたいと頼まれまして、こうして私が参りました」

 相手を騙す必要もなく淡々と事実を語ればいいだけなので、すらすらと言葉が出てきた。

「あらあ。そうなの。モクマくんも大変ねえ。でもモクマくんぐらいの年齢の子が、ヒーローショーで主演を務めているなんて凄いわよね。前に庭で転びそうになったところを助けてもらったことがあったのだけど、その時に触った腕の太さからしてかなり逞しかったもの。あれは一朝一夕で鍛えた体じゃないわ。それに比べてうちの息子なんか、昔から運動が大の苦手でね。今も仕事が忙しいのは分かるけど少しは運動しなさいよと何度も伝えてはいるんだけど、どうしたって腰が重いみたいで。今は若さで誤魔化せるけど、年をとればどんどんそのツケが回ってくるから。元々腕も足も細いから、今のうちから体を動かす習慣をつけておくといいんだけど、こればっかりは本人の意思があるからねえ。そういえばこの間通信販売で見かけたんだけど、今は一日十分で簡単に筋肉がつく便利な道具があるのね。しかも今注文すればお値段も半額で、更に筋肉増強剤までおまけでついてくるの」

 口先にそれなりに自信のあるチェズレイに、負けず劣らず流暢な話し方だ。彼女の話の中には貴重な情報もありはしたが、おそらく後半は完全に騙されている。けれどにこにこと楽しそうに会話を続ける彼女に水を差す気にもなれず、チェズレイは黙ったままうんうんと頷くに徹した。

「普段体を動かさない方が突然運動を始めると怪我をすることも多いですから。まずは散歩をするところから始めてみてはいかがでしょう」
「そう。それもそうねえ」

 チェズレイのさりげないアドバイスによって、悪徳商法の被害は未然に防げたようだ。一通り彼女の話も聞いたことだし、モクマの使いは十分に果たせただろう。そろそろお暇をと腰を浮かせたところで、唐突に老婦人が言った。

「ところで、チェズレイさんはモクマくんとどういう関係なのかしら?」

 チェズレイは返答に詰まった。まさか今ここでその質問をされるとは思わなかった。彼女の反応からするに、てっきりモクマは自分のことをこと細かに説明していると思い込んでいた。それにしたってチェズレイを家の中に引きこんだあの強引さは赤の他人に出来るようなものではないと思うのだが。

「……同じ目的の為に協力することを約束した、言わば仕事仲間のようなものです。特にモクマさんからはお力添えをいただいておりまして、いつも感謝の念に堪えません」

 言い淀んでからのチェズレイの答えとして、およそ満点に近かったはずだ。けれどチェズレイ自身は何処か腑に落ちなかった。第三者から、例えばモクマからしてみても二人の関係はおおまかな詳細は大分省いているとはいえ、先の表現で十分に事足りるものだ。なのにチェズレイが妙に気にかかったのは、きっと自分自身がその説明に納得出来ていないからだろう。

 時に激しくぶつかり合い、それでも手を取り合いながら困難を共に乗り越えた大切な相棒。

 だけでは、ないのだろう。少なくともチェズレイにとっては。おそらく相棒に向けるものとは違った性質の感情が、胸の奥底で芽生え始めているのをチェズレイは薄々気づいていた。だからこうしてモクマとの関係を、モクマが認識しているであろう言葉で口にするのにはやや抵抗があって、ちくりと胸が痛むのだ。



 好きなのだと思う。チェズレイはモクマのことが。モクマの方はきっとそうではないけれど。



 ことりと湯飲み茶わんがテーブルの上に置かれる音が耳に届いて、チェズレイは思考の渦から現実に引き戻された。突然無言になり考え込んでいたチェズレイを不思議がる様子もなく、そうなのねと返事をした老婦人は相変わらず笑顔のままだった。



 重なる日はどうしたって重なるものだ。

 モクマが普段いつもそうされていたように、チェズレイも老婦人から大量のお惣菜を手渡された。遠慮しなくてもいいのよとぐいぐい手渡してくる彼女に、むしろ本気で遠慮などしていないのですがとチェズレイは言いかけて口を噤む。四人分にしたって多いくらいの手料理を、このまま一人暮らしの老人に突き返していいものか。食べきれないほどの量のお惣菜に囲まれて一人侘しく食事を取る老婦人の姿を少しでも想像してしまったチェズレイの負けだった。他のお知り合いの方に分けてもらっても大丈夫だからねと付け加えるように言われたが、生憎チェズレイにはお惣菜を分け合うような親しい知人は存在しない。

 と思っていたのだが、お知り合いの方と言葉にされて思い浮かんだ数人のうち、その二人に帰宅途中だったチェズレイは偶然にも出くわした。

 例の事件をきっかけとして普通なら絶対に関わり合うことのなかったナデシコとスイだった。事情を訊けば今日は二人共にオフの日で、これから一緒に喫茶店に行くのだという。チェズレイが持っているビニール製の数々の袋に、スイは興味が湧いたらしくちらちらと視線を注いでくる。よろしければいかかですかとそのうちの幾つかを二人に手渡せば、最初は遠慮していたものの結局最後には受け取ってくれた。

「こんなにたくさん貰っちゃって、本当にありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。受け取っていただけて助かりました」
「あ、そうだ。チェズレイさん、この後少し時間がありますか。お礼に何かご馳走させてください」
「そんなに気を使っていただかなくても結構ですよ」
「可愛い歌姫さんの折角の誘いを無下に断るものじゃないぞ、チェズレイ。いいじゃないか、たまには。この三人で会話に花を咲かせるのも悪くないと思うぞ」

 チェズレイの肩に手を伸ばして、満面の笑みでナデシコが言う。肩にかかる腕の強さも、有無を言わせないナデシコの無言の圧力も重い。ナデシコがスイのことをいたく気にいっていたことは知っていたが、まさかの加勢である。今日は何も予定がないにも関わらず、せっかくの美女二人の誘いを断るのかと当然のようにナデシコに詰め寄られ、チェズレイは諦めたように渋々と首を横に振った。

 やはりミカグラ島に住む女性は、総じて強引な性格が多い。チェズレイの下した判断は何一つ間違ってはいなかった。



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