ever after-prologue

  チェズレイはとてつもなく不機嫌な様子だった。ベッドの上の枕に顔を埋めて小さく唸り、その頬は何処となしか膨れている。一人分が空いたベッドにはチェズレイ専用のタブレットが置いてあって、つい先ほどまではお気に入りのアニメを待つ子供のような期待に満ち溢れた表情だったのに。モクマは呆れたように溜息をついた。普段のチェズレイは、一応はマフィアのボスとしての威厳と体裁を保つためポーカーフェイスを貫き通している。仮面の詐欺師という異名を持つにふさわしく、チェズレイの変装は素晴らしく併せて演技力も抜群だった。部下には一切プレッシャーも疲労は見せないチェズレイは、けれどモクマの前でだけは自分自身を曝け出す。チェズレイがむくれている原因はあれだ。つい、数十分前にネット上に公開されたモクマのプロフィールの件についてだ。

「聞いてません。私は聞いていませんよ。ボス、怪盗殿の流れから、当然モクマさんの好きな食べ物が来ると思うじゃありませんか。何ですか?好きな場所と言うのは」
「いやあ、だからほら。おじさんってば好きな食べ物っていうとたくさんありすぎてさあ。いっぱい答えちゃったら、インタビューアーさんにげんなりされちゃって。そんで質問変更ってことになったの」

 この説明も何度目だとモクマは思う。取り繕うように笑うモクマを一瞥して、チェズレイはぷいっと顔をそむける。そしてふりだしに戻る、だ。正直、チェズレイが気分を損ねるような要素が何処にあったのか。モクマにはさっぱり見当もつかない。当たり障りのない質問に、至極普通の答えだったと思う。しばらくの間辛抱強くチェズレイに付き合ったモクマは、とうとう痺れを切らした。うつ伏せになっているチェズレイの隣に腰を下ろして、その絹のように滑らかな髪を一筋掬う。

「それで、お前さんは何がそんなに気にくわないんだ?」

 チェズレイはモクマの問いかけに口を真一文字に結ぶが、髪を撫でる掌そのままに片手で頬を包むと、頑なだったチェズレイの表情が次第に解けてゆく。たいしたことではありませんよ、と前置きをつけて。

「私が知らないモクマさんを、他の誰かが先に知っていたという事実が気にくわないだけです。ついでに、あなたが私とは一緒に行ったことのない場所を好きだと答えたことも」

 モクマは瞬間言葉を失い、そしてこみ上げそうな笑いを必死で堪えた。

「お前さんは、俺が一番知られたくなかった部分を全部知っているじゃないか」
「でも、私は。私が知りたいモクマさんのことを全部知らなければ気が済まないんです!」

 チェズレイの台詞にモクマは呆れた。どこまでも自分勝手でどこまでも強欲な言い分だった。まあ、それくらいの性分でなければ世界征服を企むなんて発想も生まれないのだろうけど。モクマの掌の温度が気持ち良いのか、チェズレイがうっとりと目を細めた。きっともう眠いのだろう。チェズレイのスケジュールを鑑みるに、本当はこうやってモクマのプロフィール公開を律儀に待つ、という時間すら惜しかったはずだ。そして挙句に、自分の期待通りにならなかったという理由だけで、モクマの前だけでは、その事実に拗ねて見せる。呆れる。チェズレイの一挙一動が本当に可愛くて、何でも許してしまいそうな自分に心底呆れてしまう。

「とりあえず、今日はもうおやすみ、チェズレイ。聞きたいことがあるのなら、明日に絶対答えてやるから」
「…………絶対に、約束ですよ」

 言ったきり、チェズレイはすうっと眠りに入った。本当に疲れていたのだろう。くわりとモクマも一つあくびをする。夢の国でもお供しますよ。呟いて、モクマはチェズレイの横に潜り込む。明日の朝、チェズレイに伝えなくてはならないことをモクマは考えた。



 モクマには好きな食べ物が多くて、好きな場所が海と雪原なのは本当のこと。でもこれから二人で行ってみたい場所はそこだけじゃなくて、もっともっとたくさんあって、けれどモクマの好きな人はこの先ずっとたった一人なこと。



Twitterにてモクマさんのプロフィール公開時の「雪原」に衝撃を受けて感情のままに書いたもの。
モクマさんとチェズレイの二人に旅をさせようと決意した起点であり、原点。

inserted by FC2 system