永遠に揃わない賽の目の話

 何という間の悪さだろうとアーロンは自分の不運を呪った。当の本人からは、わざわざ時間を割いてまで来ることはないという自己申告はあった。それにも関わらずルークが、手を離せない自分の代わりにどうしてもアーロンにと行ってほしいと言うから仕方なく、仕方なくわざわざ出向いてやったというのに。決して貧弱な訳でもないくせに年齢のせいなのか何なのか、未だ怪我の治りが遅いモクマの見舞いに病院へと渋々やってきたら、これだ。

 病室には先客がいた。しかもアーロンが知る限りで一番鉢合わせしたくなかった人物で、おまけに状況も状況だった。いつもは笑顔でアーロンを出迎えてくれるモクマの顔はアーロンからは見えない。何故ならモクマは医師に言われたとおりベッドの上で安静にして眠っているからだ。そこに覆いかぶさる長い髪の男、もといクソ詐欺師が、のれんのようにモクマの顔を隠していた。何をしているかは流石のアーロンにも一目瞭然だった。

   さらりと揺れた長い髪の隙間から、紫の目が現れて視線がかち合う。

   ああ、来ていたんですか、と切れ長の瞳が静かに物語った。

 正直、この件に関してアーロンに全くといって落ち度はない。それなのに詐欺師はまるで興醒めだというようにモクマから離れて顔を上げ、アーロンを流し見る。
 アーロンは、決して自慢になることではないが人並以上に盗みの能力には長けている。それは長年の経験によるものだが、いくら場数を踏んだからといって自分以外の誰かが犯行を行う現場を目撃することなどほとんど皆無に等しい。
 盗む対象が例えば、唇なんかだったりしたら、尚更だ。

「それで、怪盗殿は何がお望みですか?」

 ついて来いとばかりの言わんばかりの表情に病室を出てのこのこと従い歩いたアーロンだったが、一階の大きなラウンジに用意された椅子に座る詐欺師の態度は実にふてぶてしかった。現場を押さえられた犯人だってもう少し殊勝だろうにと、アーロンは考える。しかも今回は、犯人役は自分ではなくまぎれもなく詐欺師だ。けれど当の本人はどこ吹く風で飄々としているし、何なら詐欺師の対面に座るアーロンの方が気まずくもある。おかしい。まるで立場が逆だ。

「望みなんてねえよ。強いて言うなら、とっとと帰らせろ」

 心からの本音だった。しかしクソ詐欺師は眉をぴくりと上げたかと思えば、再び冷めたように表情を戻す。

「お望みのものを出来る範囲で差し上げますと申しておりますのに、怪盗殿はおかしな方ですね」
「悪いが、自分が欲しいものは自分で手に入れる主義だからな」
「モクマさんに知られたら、私が困るんですよ」

 意外だった。アーロンが思わず詐欺師の顔をまじまじと見つめると、奴は忌々しげに顔を歪めた。
 忍者のおっさんとクソ詐欺師がなんとなくそういう関係にあるだということは、実のところアーロンはうっすらと感づいていた。出会った当初にはピリピリとした緊張感が常にあった二人だったが、途中何らかのきっかけがあったのかその空気が確固とした信頼に変わっていた。しかしそこに桃色の雰囲気がいつの間にか加わっていた時は、さすがのアーロンは仰天した。何でよりによってコイツなんだと、アーロンは思った。考えてはいたが、追求するのは直ぐに止めた。正直に言えば必要以上に関わりたくなかったからだ。
 今回のように一方的な行為であっても、おそらく深い部分では合意である。そうアーロンは結論付けた。だから、モクマに知られたくないという詐欺師の言葉に違和感を覚えたのだ。

「だって、悔しいでしょう。強さも年齢も。私がモクマさんに勝るものが、あの人に傾ける情だけだなんて。私ばかりが好きで、負けているような気さえしてくる。数えている口づけの回数ぐらいは勝たないと割に合いません」

 しれっと言い切った詐欺師にアーロンは溜息をついた。

「言わねえよ」
「理由は」
「馬に蹴られておちおち死にたくはねえからな」

 果たしてアーロンの真意はどこまで詐欺師に伝わったのか。成程と小さく呟いて、詐欺師は思案するように目を細める。

「それでは結構です」

 これ以上アーロンと交渉していても無駄だと悟ったのだろう。あっさりと身を引いた裏できっと何か企んでいる。そう解釈したアーロンは苦虫を噛み潰すような気持ちになった。

「んな回りくどいことをしなくても、正々堂々と奪えばいいじゃねえか。もしおっさんが気づいて、クソ詐欺師以外の誰かがそんなことをしたんだって思い込んだらどうするつもりだ」

 怪盗ビーストという名前がアーロンに付随したのは、宝石を盗み始めて割とすぐのことだ。乱暴かつ強引な犯行方法がまさに野獣のそれであると。アーロンはそれを別に否定するつもりもなく、弁明する機会もありそうになかったので放っておいた。逆にその方が好都合だった。
 宝石を盗んだのは怪盗ビースト。そう思い込ませれば、他の誰をも疑わせない。自分勝手な理由で始めたことに、冤罪で巻き込まれる人物が存在してはならない。だからアーロンは痕跡を残す。豪快に暴れて、それが怪盗ビーストの証であるとでも言うように。  詐欺師は表情を変えずに、アーロンを見据えて答えた。

「モクマさんは、疑いませんよ」

 私以外からだなんて、ひとつも。




 病室に戻ると、上半身だけ起き上がったモクマは誰かが持ってきただろう雑誌をぺらぺらと捲っていた。アーロンの存在に気づくとぱっと顔を上げてやあやあ、よく来てくれたなどと言いへらへらと笑っている。備え付けの椅子にどかりと座って、アーロンは腕を組む。

「元気そうで何よりだな、タヌキのおっさん」

 モクマはぴたりと笑うのを止めた。

「さすが。お前さんにはやっぱり気づかれちゃうかあ」
「あんだけ分かりやすいのに、気づかない方がどうかしてんだよ」
「まあまあ。でもそこが可愛いんじゃないか」

 危険な雰囲気を察知して、アーロンは瞬時に逃げようとした。が、モクマに腕を取られて叶わなかった。こいつ、本当に病人か?と思うほど掴んだ手の力が強い。

「覚えている接吻の回数が、相手よりも多いと思い込んでいるところとか。いじらしくて」
「本当は同じ数なのにか?」
「……んー……」

 アーロンの問いかけに、モクマは困ったように黙り込んだ。

「実際のところは、おじさんの方が多いんだよねえ」

 聞くんじゃなかった。アーロンは心底後悔した。多分、詐欺師と同じくらい、いやそれ以上にモクマは彼の唇を知らぬうちに奪っているのだ。子供のお遊びのように可愛いことをしているから、そうっとしておきたい。その気持ちがある一方で、いくら好きでも好きな子には絶対に負けたくないという断固とした意地がモクマにはあるのだろう。捧げる想いの強さは詐欺師の方が一方的だなんて嘘だ。おそらくモクマの方がよっぽど質が悪い。だからこそアーロンは、なんでコイツを選んだのだと呆れたのだ。

 駆け引きというよりもっと幼い、付き合いたての初々しいカップルのやり取りに巻き込まれたアーロンはやっぱりただただ不運だった。限定品が手に入ったから、どうしてもモクマさんに。ルークから預かった饅頭の香りがポケットの中から滲みでているような気がして、その甘さにアーロンはつい吐きそうになった。


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