野花のうた

 モクマ・エンドウは根無し草だ。

 モクマは決して自慢ではないが、同年代どころか今時の若造にも引けを取らないくらいに身軽だ。その理由としては幼い頃から忍びとして里長から直々に修行をつけてもらっていたことも関係しているし、ヒーローショーを生業としている身の上に己の肉体を日々鍛え続けていることにもよるだろう。地面を蹴り、空間の中に体をしならせ、風を切る。地上から引力を切り取って、体を数度回転させることくらいモクマにとっては朝飯前だ。

 ニンジャジャンの背中には羽根がついているみたい。

 モクマが出演しているヒーローショーの観劇者は何も少年のみに限らない。ニンジャジャンといういかつい名前に似合わない羽根というメルヘンチックな少女の比喩は、成程子どもの目からすればモクマは空に飛んでいるように見えるのだなと妙に納得した記憶がある。

 モクマ・エンドウの周りには不思議と人が集まる。

 兄弟の多い家庭で育ったモクマは、自分の周囲にたくさんの人がいることが自然だった。何の不満もなく、優しい家族だったし温かい家庭だった。そうしてぬくぬくと安寧の中に暮らせば良かったものを、何故かモクマは一人離れてしまったのだ。今思えばそれがモクマが道を外れた全てのきっかけだった。

 モクマは自分が人を惹きつける何かがあることを知っていた。理解はしていたが、どう扱えばいいのかモクマには分からなかった。モクマの家族は常にモクマを大切にしてくれたし、親元離れたマイカの里でもモクマの存在をすんなりと受け入れてくれた村人は多かった。

 モクマは不思議と人を惹きつける。それが好意のある者だけならどれほど良かっただろう。

 モクマ・エンドウは鳥になりたかった。

 過剰すぎる好意と度の越えた悪意に耐えきれず、モクマはとうとう他人の中から逃げ出した。その身軽さを存分に利用し、軽快に狡猾に、自分の罪から目を逸らして逃げ続けた。

 モクマは自分のことを根無し草だと思った。いくら体が軽くなろうとも、モクマの背中には羽根はない。空飛ぶ鳥にはなりきれなくて、自由になったはずなのに胸は縛られ苦しくなるばかり。走って走って逃げ続けた数十年後、おもむろに道の途中で足を止めたモクマは唐突に気づいてしまった。

 モクマが走り続けた背後の道は、自分の足跡だらけになっていた。一点の緑も無い荒れ果てた大地に潜む無数の暗闇。何の根も痕跡も残さない根無し草にもモクマはなれなかった。柔らかな地面をモクマはただただ踏み荒らして傷つけただけ。地中を深く抉る傷跡は道しるべになるどころか、誰かを奈落に突き落とすための落とし穴みたい。モクマは周りを悲しませることは出来ても、幸せにすることはきっと出来ないのだ。

 突きつけられた現実にくらりと眩暈をおこして倒れそうになったモクマの目の前に、ふらふらと空を漂う一匹の紫色の蝶が現れた。今まさに絶命しそうなその蝶を、モクマは咄嗟にその指先に乗せる。

 空洞ばかりの荒野に、かろうじて残っていた一つの小さな白い花にモクマはその蝶をそっと移した。多分この蝶は長くは生きれまい。それでもこの子にはどうか生きていて欲しい。無責任で途方もないことを願いつつ、モクマはその場を後にした。鳥にも根無し草にもなれなかったモクマは、けれど逃げ続ける道しかもう残されていなかった。

 モクマが身軽だなんてとんでもない。体も心も前に進むごとにずんずんと重くなる一方だ。他人の好意はないがしろにして、モクマへの悪意はすべて自分のせいにして引き受ける。優しさなんかじゃない、ただただ自分が楽になりたいだけの傲慢さ。そしてモクマの罪はますます重くなる。もう一歩も歩けない、身動きも取れない、声も出ない。そうしてモクマが再び立ち止まった瞬間に、後ろからついと袴の裾を引かれた。

 振り向けば、いつしかモクマが気まぐれに助けた蝶と同じ瞳の色をした青年が立っていた。ようやく捕まえましたと少し不貞腐れたようにモクマを睨みつけた青年は、ぽかんと口を開けているモクマに今すぐ両手を出してくださいと叱るように言いつける。訳も分からずモクマは、命乞いをするみたく二つの手を真っすぐに彼に差し出した。

「あなたのせいで私の命は助かりましたが、あなたのせいで私は死にかけました。あのたった一つの花が枯れてしまったら蜜を得られない私の命が絶えてしまうこと、ご存じなかったとは言わせませんよ。あまりに軽率で軽薄な行為でしたので是非あなたに復讐をしたく、こうして追いかけてきたわけですが。よくよく考えれば花が無ければ種を植えればいいだけだと気づきまして、あなたの足跡全てにあらゆる種を放り込んでおきました。今や世界中が花だらけですよ。あなたのせいで。あなたのおかげで」

 モクマに渡されたのは両手いっぱいの白い野花だった。気づけば真っ青な空と一面の白い花畑の世界に二人は囲まれていた。にこやかに笑う青年と光に照らされたその花の輝きが眩しくて、モクマはうっすらと目を閉じる。そして再び瞼を持ち上げた次の瞬間には、見慣れた部屋の光景が視界に入った。

「どうかしましたか、モクマさん」
「……うんにゃ、少し朝日が眩しいなと思っただけだ」
「ええ、とても清々しい光です。あなたの誕生日に実に相応しい」

 チェズレイの満面の笑顔に、モクマの胸がつまる。私にはあなたの足跡が必要でしたと伝えて笑っていた夢の中の彼に向かって、何にもなりきれなかった自分が生きてきた理由はここにあったのだと、モクマは泣いた。


花開く為に必要な全ては今ここに。
モクマさんお誕生日おめでとうございます!2022.10.10

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