未必のこい

「モクマさんとチェズレイ様は恋人同士なんですよね?」
「は?」

 酒が入っていたグラスを思わず落としかけたモクマである。生憎今夜は済ませておきたい業務がありまして。二人で一杯やろうという申し出を相棒にそう断られたモクマは、彼の部下を二、三人程捕まえて繁華街の小さな飲み屋に連れてきた。今日はおじさんの奢りだから。にこりと笑いながら先輩風をふかすモクマだったが、部下達の様子はぎこちない。酒を二口飲んだところで、彼らは突然拉致したモクマを警戒しているのではなく、たただただ緊張しているのだとようやく気がついた。

 同じ雇用主の元に仕えているとはいえ、モクマの存在はかなり特殊だ。まず一回り以上年上のふらふらとした遊び人みたいなおじさんが、十全十美なチェズレイに四六時中くっついているという事実は端から見れば中々異様な光景である。そういや自己紹介もまともにしてなかったなあと思い返したモクマは、ここは一つ親交を深めるべく、聞きたいことがあるならなんでも聞いて答えてあげると大判振る舞いに出た訳だ。

 人と仲良くなるには、こちらの人となりを知ってもらうのが一番てっとり早い。年を問われれば年齢を聞き返せばいいし、出身地や家族構成もしかりだ。部下の疑問をそつなく答えていたモクマだったが、酔いも相まって次で最後にしてくれと頼んだ直後の質問だった。

「……えっと。おじさんとチェズレイはあくまで仕事上の相棒なだけであって、恋人ではないかなあ」
「そうなんですか?」

 モクマとしてはあくまで本当のことを伝えただけなのに、逆に驚いた顔をされたので困ってしまった。あれだけ一緒にいるのに?話す時にはあんなに距離が近いのに?いつもいつも二人だけの世界に没頭しているのに?と矢継ぎに聞かれてモクマは面食らった。
 おじさんとチェズレイはそんなんじゃない。全部誤解だよお、と酔ったふりをして全面否定したモクマだったが、これは由々しき自体だぞと内心焦りまくりだった。

 モクマはともかくとして、チェズレイはいざ恋をするとなれば相手は選び放題だ。容姿端麗で頭脳明晰。ついでにお金持ちだし、ありとあらゆる才能をバランスよく持ち合わせている。どこぞのご令嬢だってどこぞの国のお姫さまであっても、チェズレイが本気になればきっと相手は夢中になる。なのにモクマがチェズレイのそばにずっといるとなると、目の上のたんこぶというか、恋の障害にはならなくても邪魔者にはなりうるだろう。だからモクマとチェズレイが恋人同士だなんていう空想を本気にされたら正直困る。

 かくしてモクマはその日以降チェズレイとの接点を極力減らした。会話だって一緒に食事を取ることだって勿論する。ただし必要以上にチェズレイに踏み込まないようにとモクマが勝手に心がけただけだ。すると効果は抜群で、モクマはチェズレイの名前を呼ぶことが極端に減ったし、チェズレイがモクマ以外の部下と一緒にいるところをよく見かけるようになった。よしよし、これでいい。主と触れ合う機会をみんな平等に配分してやれば、妙な想像も自然におさまるだろう。そのことに胸がちくりと痛んだ気もするが、モクマは無視を決め込んだ。

 そして再び酒での席である。円形のテーブルの対面にセットされた二つの椅子の一つに、モクマは縄でぐるぐる巻きに拘束されていた。部下を使ってモクマをそんな状態にしたチェズレイは、二人分の盃にとくとくと酒を注いでいる。この時の為に上等なお酒を手に入れておきましたよ、と言いながらモクマに向ける笑顔が大層怖い。

「おかわりもご用意してありますから、モクマさんは存分にお楽しみください。ここ最近私によそよそしい態度を取り続けた理由を腹の底から全てブチ撒けるくらいには」

 やはり気づかれていたし、案の定チェズレイは怒っていた。縛られた縄をほどくのはモクマにとってたやすいことだが、今そうしたところでチェズレイは手段を変えて同じことを繰り返すだろう。別に話してもいいことかとモクマは思い直した。チェズレイに対して伝えにくい内容ではあるが、伝えられない話でもない。逆にモクマよりも部下達の妙な妄想を払拭する良い案をチェズレイは思いついてくれるかもしれない。そうだ。何故モクマは初めからそうしなかったのだ。モクマとチェズレイが恋人同士などというくだらない話を、チェズレイなら笑って一蹴して。

「別にそのままにしていてもよろしいのでは?」
「へ?」

 一滴も酒が入っていないままに白状したモクマの対面で、椅子に優雅に座ったままのチェズレイが言う。

「……で、でも俺と恋人っていう話を本気にされたら、お前さんだって困るでしょ」
「いいえ、全く困りませんが」

 駄目だ、話が通じない。モクマが唖然としていると、チェズレイがお分かりいただけていないようですねェとまるで子供を諭すように笑った。

「今現在確かにモクマさんと私は恋人同士の関係ではありません。ありませんが、まァ、今後そうなったらそうなったで構わないと私は思っています」
「……」

 完全に沈黙するモクマに、チェズレイが楽し気に微笑む。二人が恋人同士などと周りに勘違いされたら困る。そんな与太話を本気にされたら困る。そんなことをされたら。

「おじさん、本気になっちゃうけど。いいの?」
「むしろ本気でなければ許しませんよ」

 そうだ。モクマが本気になればこんな縄を解くのだって簡単だし、彼に手を伸ばすことだってしてしまえる。だからずっと本気にならないようにしていたのに。モクマが昔そうしたことを未だにチェズレイは根にもっているらしい。結局モクマの計画はチェズレイの手によって全部台無しになってしまった。

 一時期どうにもこうにも上司二人の様子がぎこちない。それが心配だったと酒の席で部下に言われて、モクマは心配かけてごめんねえと明るく謝罪した。もう大丈夫だからと告げるモクマに、もう一人の部下が尋ねる。結局のところモクマさんとチェズレイ様はやっぱり恋人同士なんですか。

 モクマは笑って口を閉ざした。聞かれたら何でも答えると豪語していたあのモクマが黙った。それで部下は静かに悟った。

 黙秘がモクマの答えであり、それが二人の恋なのだ。


モクチェズ匿名小説企画参加作品。
未必の故意「最初は確定的な意図はなくとも、その事実が発生してしまい、もしそうなっても構わない」という心理状態を表す言葉。
未必と秘密・故意と恋・黙秘と黙真をかけたお話。

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