可愛らしすぎるピンクの紙に包まれた箱は、支援物資の中では一際異色に見えた。訝しみながら段ボール箱の中から取り出すと、子どもたちがそれはなあにと無邪気にアラナに問いかける。なんだろうねえと優しく微笑みながらアラナは応え、箱に顔に近づけて軽くゆさゆさと揺すってみた。重さと音からするにどうやら菓子の類ではないようだ。もう一度アラナは箱の表面を顔から遠ざけて確かめる。箱の右の上端に、今までどうして気づかなかったのかと思うほど、くっきりとした文字が綴られていた。

「あっ、これはあたしのだ」
「これはおれの」

 アラナに纏わりついていたマリーとセルジュが段ボール箱に入っていた服を取り出し、自分の体にぴたりと貼りつけて似合う似合う?とアラナに聞いてははしゃぐ。覚えたての自分だけの文字のカードを嬉しそうに指先でなぞり、まるで洋服とダンスをするみたく楽しげに体ごとくるくると回転させた。危ないから気をつけて。軽く諌めながらアラナはもう一度手にしていた箱に向き直る。


Dear Arana,


このプレゼント箱はどうもアラナ宛らしかった。

Can you hear me?



「くれるって言うんだったら素直に貰っとけ」

 箱の中をおそるおそる開けてみると、見覚えのあるしかし新品のタブレットが丁寧に梱包された状態で入っていたので、アラナは当然のようにアーロンに相談した。

「あんたのお友達のチェズレイさんから、私宛にこんなものが届いたんだけど」

 友達という言葉を口にしたあたりでアーロンが心底嫌そうにぴくりと眉を動かしたが、毎度毎度のことなのでアラナは特に気にとめない。軽く舌打ちしたアーロンからとりあえずは受け取っておけと告げられたが、でも、とアラナは小さく反論した。

「チェズレイさんに貰ってばかりじゃ悪い気がして」
「んなの今更の話だろ」

 指摘されてそれもそうかとアラナは肯いた。ミカグラ島という小さな島国で起きた大事件は、アラナにとっても記憶に新しいものだ。まさに当事者として当初よりアラナはその事件に巻き込まれていた訳だが、そのほとんどの間意識を失っていた状態だったので、気付いた時には何もかも終わっていたというのが所感だった。実は命すらかなり危うい状態だったと聞かされたのはアーロンの相棒であるルークからで、アーロンはアラナさんの為にすごく頑張ったんですよと屈託のない笑顔で教えてくれるルークに、あまり余計なことを言うなとあろうことか拳で語るアーロンを病室の中で説教したことも昨日のことのように思える。

 鉄砲玉のように世界を飛び回りめったに帰ってこなかった私の弟は、どうやらその小さな島国で新しい仲間を得たらしい。一匹狼で絶対に単独行動を貫いていたあのアーロンが。バディだけじゃなく仲間まで。それを知った時アラナの感動は実に筆舌に尽くしがたい。

 ところでそのアーロンの仲間というのは、それぞれがなかなかに個性的であった。一体どういう経緯で知り合った面子なのか。気になってはいるのだが、アーロンがなかなか渋って教えてくれない。そのうちになとはぐらかされているうちに、アーロンの留守中に偶然代わりに出た電話で、結局は仲間本人に直接話を聞いてしまうという有様だった。中でも特に電話の頻度が高かったのは、件のチェズレイさんだ。

 アラナから見たチェズレイは、紳士で礼儀正しい大人の男性といった印象がとても強い。おおよそ普通とは言い難い環境の中で育ってきたアラナをチェズレイは一人の淑女として扱ってくれる。あのアーロンとルークと同年代だというのだからさらに驚きだ。粗雑でかなり乱暴なところがあるアーロンとはあまり気が合わないらしいということは薄々察しているが、電話の頻度からするに少なくとも信頼関係はあるのだろう。チェズレイさんみたいな人とこんなふうにお話出来るなんてとても不思議だ。うっかりそんな台詞を電話口で漏らした数週間後に、事前の連絡もなく支援物資という名の贈り物が届いた。

 タブレットはアーロンが持っているものと同じ型だからなんとなく使い方も分かる。初期設定の類はほとんど終わっていたらしく、電源を入れればすぐに使える状態になった。同封されていた説明書とにらめっこをしながら開いた電話帳に、アーロンとルークの会話の中に良く出てきた名前がずらりと並んでいてちょっと驚いた。時差とタイミングを色々と考えて、気になっていた「ナデシコさん」に運よく電話が繋がった時は本当に感動したし、想像通りに快活で恰好良い大人な女性である彼女とはすぐに意気投合した。もしアラナから電話がかかってきたらよろしくとチェズレイに事前に頼まれていてな。あっさりと種明かしをした彼女に、これでも緊張したんですよと口を尖らせて言った。電話越しにけらけらと笑うナデシコに、つられてアラナも笑った。ああ、なんだか自分にお姉ちゃんが出来たみたい。

 電話帳に連なる名前の持ち主におそるおそる電話をかける日々。ふと、肝心なチェズレイさんと一緒に行動を共にしているモクマさんの名がないことに気づいた。疑問に思ってアーロンに確認すると、固定の電話番号は諸事情で持っていないらしい。諸事情。つい最近までハスマリーに不在がちでなかなか連絡を取れなかった大怪盗のことが頭をよぎる。彼らに関してはそれ以上深い詮索はしないことに決めた。世間的には悪事と呼ばれるものを働こうとも、きっと悪い人達ではない。そう信じることが出来るならそれだけで十分なのだ。

 こちらから連絡が取れない代わりになのか、正体不明のメールアドレスからアラナのタブレットに写真が届くようになった。それは美しい絵画だったり彫刻だったり、今まで見たこともない美しい空だったり夕焼けだったり。かと思えばヒーローショーと思われる現場の写真だったり、珍しい食べ物だったり。その中に何故かひっそりと紛れ込む小さな白い花の写真は、特別アラナのお気に入りだ。

 アラナが写真を眺めるときはいつだって子どもたちと一緒で、まるで宝物を見つけたように喜ぶ顔を見るのが好きだった。そのことをたまたま電話したルークに伝えると、翌日から大量の写真が届くようになった。送り主は一人や二人じゃない。アーロンは本当にいい人達に巡り合えたのだとつくづくアラナは思う。

 アラナが子どもたちに教えてやれることは少ない。例えば自分の名前や日常生活に困らない程度の言葉。空腹を耐え凌ぐための気休めのおまじないや、物理的な悪意から自分の身と命を守る方法。物心がついた頃からこの目で見てきたものといえば、人の棲家だったはずの真っ黒な残骸とがれきの山。何本もの助けを求める瘦せ細った腕と、何も映さない虚ろな瞳。アラナは美しい世界などとは到底無縁な境遇の中に生きてきた。だから知らないものは教えられない。例えアラナが知っていたとしても、きっと子どもたちに伝えることは出来ない。世界にはこんなにも素晴らしいものがあるのに、あなた達には絶対に手に入らないのよ、なんて残酷なこと。決してこの子たちの前では言えなかった。


 今までは。




 夢を見た。




 ぼろぼろに擦り切れた服を着た、小さな女の子が目の前で蹲っていた。どうしたの?どこか痛いの?今までたくさんの子どもたちにそうしてきたように、アラナはその女の子に声をかける。女の子は両手で顔を覆ったまま動かない。小刻みに体を震わせて、静かにはらはらと泣いていた。おとうとが。掠れた声で女の子が口を開く。



 死んじゃったの。



 ぱちりと目を開けるとテーブルの上に突っ伏していた体には、いつの間にか薄いブランケットが掛けられていた。オレンジ色の電球の下で、さっきまで向かいあってアーロンと他愛のない会話をしていたことを思い出し、見た目に反して私の弟は本当に心優しいなあなどとぽそりとつぶやく。ほどほどにしろよ。アラナに向けて殴り書きされたメモは、そのぶっきらぼうさが実にアーロンらしい。ほどほどになんて、それはアラナがアーロンに向けて一番伝えたい台詞だというのに。

 無理をするなとか無茶をするなだとか、それはアラナがたやすく口に出来るものでもない。無理をしなければ、無茶をしなければ、きっと今ここにアラナはいなかった。だから無理をしてでも無茶をしてでも、アラナは子どもたちに伝え続ける。画面から見える世界は決して幻なんかじゃなくて、いつか必ず手が届くということ。当たり前にそんな日が来るのだと、アラナは信じさせる。未来を信じた子どもたちの無邪気な笑顔は、アーロンとその仲間達の背中を押す原動力になるからだ。

 けれどふいに、こんなふうに悲しい夢をみて弱気になってしまう時がアラナにだってある。それはきっとアーロンも同じで、その度にルークの声を聴くために何度も留守番電話を繰り返し再生していることも知っている。だから唐突にアーロンにルークから電話があった時は、うんざりとした表情をしているくせに内心はすごく喜んでいることもアラナはちゃんと分かっている。伊達に何年もアーロンの姉をやっているわけじゃないのだ。

 手慰みに着信履歴を指先でスクロールする。途切れることのない名前に、アラナ自身もこんなにもたくさんの人と繋がっているのだと自覚する。胸の中にあった寂しさはたちまちに消え、多幸感でいっぱいになる。大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせながらアラナは気づく。そうか、そうか。そういうことだったのかと腑に落ちながら、アラナは微笑んだ。

 どうりで。私みたいな年齢の女性に贈るには可愛らしすぎる包装紙だと思った。小さい頃はピンク色が好きだったの。ずっと前に何気なくアーロンに伝えた言葉、まだ覚えてくれていたんだね。やっぱりアーロンはチェズレイさんと結構仲が良いんじゃない。指摘したら絶対嫌そうな顔をするんだろな。くすりと笑って、アラナはそっと目を閉じた。


 瞼の裏には夢の中の女の子。まだ、肩を落として泣いている。



 もしもし。もしもし。




 大切だった人をなくして、たった一人になったあなたへ。
 大切だった家族を亡くして、たった一人で泣いているあなたへ。



 私の声が聞こえる?


 ピンクの包みの綺麗な箱は、小さなアラナ。あなた宛てよ。


 たとえ今がどんなに辛くても、苦しくても。あなたはこれからたくさんの人の温もりに包まれながら、もっと美しい世界を見ることになる。大好きなみんなと幸せに暮らしたいというあなたの夢は、きっと必ず手が届くよ。私はそれを伝えるために、今こうしてここにいる。


 だからどうか、泣かないで。泣かないで。


 私の声が聞こえるでしょう。



 大丈夫。あなたはもう一人じゃないよ。



この声があなたに届きますように。

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